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寛永大飢饉の金石碑文

(最終更新:2017年05月24日) 印刷印刷ページ
寛永大飢饉の金石碑文のデータ
よみ かんえいだいききんのきんせきひぶん
指定
種別(種目) 有形文化財(考古資料)
員数、
地籍等
1
石英安山岩 36㎝×25㎝×7㎝
時代 江戸嘉永2年(1849)
指定年月日 昭和53年10月13日
所在地 中津川市付知町
所有者、
保持者等
個人
解説  寛永18年(1641)から翌年にかけ「寛永の大飢饉」と呼ばれる飢饉が発生しました。時の庄屋、田口慶傅は悲惨な事実を後世に伝える文書を牛頭天王社(倉屋神社)に奉納しました。後に、嘉永2年(1849)に慶傅の子孫である庄屋田口慶郷がこれを金石碑にして保存しました。金石碑からは付知村の人口およそ700人の内90人もの人が餓死したことが書かれ、当時の惨状を伝えています。

寛永大飢饉の金石碑文



 

 

担当課・連絡先
文化振興課
電話番号:0573-66-1111(内線4316)